医学部合格ストーリー | 医学部受験ラボ

一切後悔を残さない受験の過ごし方――やり抜くことに価値がある

作成者: 医学部受験ラボ|2020年03月02日

モチベーション / 予備校選び / 医師を目指したきっかけ / 受験生にアドバイス / 大手予備校 / 気持ちの切り替え / 苦手科目の克服

奈良県立医科大学医学部4年生 I.Hさん
1浪の末、一般合格

どうして、自分は医学部を目指すのか。受験生活の不安とどのように向き合うのか。見事、合格を勝ち取った現役医大生に、医学部への思いや不安との向き合い方を聞き、合格までの軌跡を辿る連載シリーズ「合格ストーリー」。今回お話を伺ったのは、奈良県立医科大学の医学部に合格されたI.Hさん。Iさんは現役時代後期で今通っている大学の合格をもらうも、第一志望を諦め切れず、浪人を決意しました。順調に成績を伸ばすも再び合格を逃してしまい、結局現在通う大学に落ち着いたそうです。それでも「一切後悔はない」と断言するIさんに、浪人時代の勉強の話だけでなく「やり抜くことの価値」についてお聞きしました!

最初に医学部を目指したきっかけを教えてください。

父親が学生時代、医学部を目指して挫折した経験があったらしく、幼少期から「医学部に行ったらいい」とずっと言われて育ちました。高校生になり自分の進路を考えた時に、当時ずっと偏差値70くらいあったので、選択肢が東大や京大といったトップ大学か医学部のどちらかしか自分の中にはなかった。他の理系分野にあまり興味を持てなかったのと、どうせやるなら人を救えてやりがいを持てそうな医者だなと思い、医学部を目指し始めました。

受験勉強を本格的に始めたのはいつですか?

親の勧めで中高一貫に入学し、当時に鉄緑会という厳しめの塾に入りました。そこからずっと勉強漬けなので、具体的にいつ始めたと聞かれるとわからないですね(笑)。週に1回テニススクールに通うくらいで、部活もまともにできませんでした。また高校から塾が週に4回になり、物理化学や数Ⅲも始まったので、テニスも辞め、勉強時間がより増えました。

すごい…。鉄緑会とはどのような塾ですか?

東京に2校、梅田に1校ある塾で、元々は東大専門予備校でした。今でも東大の理Ⅲの半分は鉄緑会出身と言われるくらいです。優秀な中学からしか入塾は認められず、僕も入会テストに合格して入りました。とにかく、量を課されるんです。現役生は圧倒的に演習量が少ないので、早いうちからたくさんの問題に触れることで、難関大学の合格率を高めようという考え方だったと思います。

どのくらいの量をこなしていたのですか?

わかりやすいのが宿題の量ですかね。高校1年生の時から、国公立の過去問が宿題として出ていました。大問を週に15問、1日に2問解くペースですね。それに加えて、週4回授業があるので、必死に食らいついていました。

すごい量ですね。高校時代の偏差値はどのくらいだったんでしょうか。

それだけ勉強していたので、総合でずっと70は越えていたと思います。でも、得意だったのは数学と化学くらいでしたね。文系科目はあまり得意という意識は持てなかったです。でも、国語や英語は医学部受験ではあまり差が出ないと言われます。一番受験する際の足手まといになったのは物理でした。結局現役の受験に間に合わせることができず、落ちてしまいました。

現役の時の志望校はどこだったんですか?

最初は大阪市立大学の医学部を目指していました。兄も通っていて、家からも近かったんです。でも一度鉄緑会の模試で、すごくいい得点を取ったんです。その時に大阪大学の医学部を目指すようになりました。

レベルも高いし、カッコいいイメージを持っていて、強い憧れを抱くようになりました。一度目指すと、志望校を下げづらかったのも事実です。現役の後期で、別の大学からは合格をもらっていたのですが、もう一度阪大に挑戦するために浪人を決意しました。

浪人時代はどこの予備校に通われていたのですか?

駿台予備校の一番上のクラスに行きました。西日本で一番難しいと言われるクラスで、クラスメイトも優秀だし、講師の方々も超一流という整った勉強環境でした。

どのような勉強をされたのでしょう。

物理の克服にまず取り組みました。最初はとにかく量をこなそうと思っていたんですけど、よくよく考えるとそこに意味を見出せなくなりました。例えば一つの問題集に1から100まで問題が載っているとします。順番に解いていったとして、100までたどり着いて次の問題集にいこうとした時には、1の問題の内容なんてとっくに忘れてしまってると思います。それでは意味がないと考えたので、また繰り返し解くようにし、結局は1冊の問題集を1年かけて3周しました。ただ解くだけではなく、原理を理解しながら解くようにし、量よりも質の高い勉強を意識した結果、最終的に物理の偏差値も70を越えましたね。1年かけて克服できました。

浪人時代の1日のスケジュールを教えてください。

朝起きて、準備をして9時には予備校についていました。授業がある日もない日もあるので、その日のスケジュールを必ず朝に立てるようにし、21時まで予備校で勉強していましたね。毎日昼寝の時間をとるようにしていました。3時間ウトウトしながら勉強するよりも、1時間寝て2時間勉強したほうが効率はいいと思ったんです。あとはメリハリをつけるため、21時に予備校を出てからは一切その日は勉強しないと決めていました。帰りの電車で音楽を聴いたり、家に帰って好きなアニメを見たりしてリラックスしていましたね。

1年間で一番しんどかった時期はいつですか? また、どう乗り越えましたか?

夏にモチベーションが下がった時ですね。ずっと勉強漬けで突っ走ってきたので、ガス欠を起こしたんだと思います。勉強する気が起きず、でも阪大を目指すにはもっと勉強しないといけないですし、かなり苦しみました。

夏に限らずなんですが、駿台では僕よりも学力が上の人とだけつるむようにしていました。浪人は時間の使い方が自由で、意志が弱いとどんどん堕落してしまいます。実際、予備校にテニスラケットを持ってきて、授業そっちのけでテニスをしている人もいましたし(笑)。僕はそうはなりたくなかったので、水準の高いコミュ二ティに入ることで、サボらないようにしていました。夏にモチベーションが落ち込んだ時も、優秀な友達と話すことでモチベーションを奮い立たせることができました。今でも付き合いが続いているいい仲間でしたね。彼らのおかげで最後まで頑張ることができました。

Iさんが活用していた参考書

受験本番はどうだったんですか?

苦手だった物理も克服し、仲間にも恵まれ1年間やり遂げたのですが、最終的に大阪大学には届きませんでした。親とも浪人は1年までと約束していたので、後期で合格した奈良県立医科大学に進学することにしました。実は現役の時も合格していた大学は奈良医だったんですけどね。

「去年入っとけばよかった」といった後悔の気持ちはありますか?

全くありません。去年現役で入っていたとして、1浪で阪大に進学をしている人を見たとしたらものすごく後悔していたと思います。やらない後悔だけはしたくなかったですし、僕は1年間悔いなく勉強をやりきることができました。「ここもうちょっとできたな」と思える部分も正直なく、縁がなかっただけと割り切ることが今はできています。落ちた時はめちゃくちゃ泣きましたけどね(笑)。

浪人の1年間ストイックに過ごしたことで、得たものもありますし、この経験は将来役に立つと確信しています。また、奈良医も同期や先輩後輩に恵まれて楽しくやっているので、自分の決めたことに一切の後悔はありません!

そう言い切れるのは素晴らしいことですね!最後に受験生に向けてメッセージをお願いします。

後悔を絶対に残さないでください。先ほども言いましたが、悔いなくやりきれたらどういう結果であろうと、晴れ晴れした気持ちで受け入れることができます。僕は1浪で阪大を受験したことを一切後悔していませんし、あの経験があったからこそ今楽しく医学部生活を満喫できていると思います。最後まで諦めずに、やりきりましょう!